
ボクらは行動範囲が広がっていく。
保育園近くにある他の幼稚園に通ってる子達も知らぬ間に友達になっていた。ボクらの新たな冒険が始まった。地域地区にある公園を回り、どんな遊具があるのかを見て回っていた。ボクらは全ての公園の遊具を見て回って歩き、一つの公園は管理不足で誰もいない公園を見つけブランコで靴飛ばし(くつとばし)をして遊んでいた。この公園は、ボクらの秘密の公園となった。薄暗くなって帰ろうとしたとき、ボクらは何度も行方不明になって歩いた道の帰り道で迷っていると探されていた。歩いた道から帰り道がわからなくなって迷っていた時だった。
「お前ら、どうしたんだ?迷ったのか、どこの子供だ?見たことあるな」
と見たことがる叔父さんが声をかけてきた。
ボクらは「うん」と言ったら子供会の叔父さんと出会っていた。「馬鹿かお前らは迷い子か馬鹿だな」と言って叔父さんは警察に通報して確認をとった。きっとボクらは、叱られることが楽しくて面白くて大好きだったのかもしれない。
母さん達は警察署にも通報してから電話の完全連絡網で、ボクらを探していたようだ。自宅に戻ると親は叱るどころか「お帰りなさい」って言ってたな。今でいうママ友だな。これは親の愛情か?と。この頃のボクらは何となく両親のことは、それなりに気にしてたけど、他の大人の思いなんて考えることなど、全く気にすることもなかったし自由だと思っていた。
ボクらの母さん達は皆、たった一言だけ声をかけて洗濯機を回していた。友達というか仲間といったほうがいいかな、また後で仲間達と合って同じことを言ってた。ボクらは自由に育てられたのかも、自由の中で教育されていたのかもしれない。
あれだけ歩いたのに秘密の公園だけで、たくさんの遊具があるのは小学校のグラウンドだった。ビー玉で相手のビー玉をトラック内から出せたらビー玉を奪う遊びだった。校庭のトラックは楕円形で一周200メートル、かなりのハードなゲームで、とにかく相手のキレイなビー玉が欲しくて必死になったのを思い出す。この頃がボクらには一番自由だった頃だ。親同士の交流は強固なもので帰ってこなければ友達の親同士で連絡をとる完全連絡網だった。
しかしもう時代が違う、愛情ってものが薄くなって、愛情を持てない人もいる。
今頃の両親や結婚後すぐに離婚、父親母親の子育ての仕方って違う。子供達への見方も違う。
父子家庭、母子家庭。国の手当て目当て。なんか侘しく寂しい感じがする。
ボクらは近所の人達にも叱られながらも色んなことを教わっていたと今は思う。